神戸布引に類す

 また瀑布あり、神戸布引に類す。午後雷雨あり。七日(日曜)碇泊、八日正午抜錨。これよりマラッカ海峡を一過して、インド洋の東端に出でて、アンダマン群島に沿ってベンガル湾に入る。その間、毎日快晴。涼風船上を払い、暑気大いに減ずるを覚ゆ。ことに毎夕、明月中天に懸かり、四面雲影を見ず。蒼海渺茫としてただ流光の波間に躍るを見るは、また無限の趣あり。船中にはインド人の乗客多し。その習俗として、鬚髭を刈るにかみそりを用いず、毎日毛抜きをもって抜きおるを見る。これを見るすら、なお痛癢を感ずるなり。[#7字下げ]八、カルカッタで大宮孝潤・河口慧海に会す[#「八、カルカッタで大宮孝潤・河口慧海に会す」は中見出し] 十三日、はじめてインド・フーグリ河口に達す。前日より海水ようやく泥土を含み、陸地に接するを覚えしが、今朝に至り、海面一色黄濁に変じ、はるかに陸端を認むるを得たり。シンガポールよりここに至るまで、千八百海里余ありという。フーグリ河は恒河の分流なり。海湾よりさかのぼることおよそ百マイルにして、カルカッタ府に通ず。この運河の間は、船行はなはだ困難にして、夜間はみな停船す。岸上に兵営あり、砲門ありて、河上を警戒するもののごとし。 十四日午後、はじめてカルカッタ府に入津す。河流をさかのぼることここに二日、その間四面広闊として、山岳はもちろん、丘陵だも見ることを得ず。実に大国の地勢なり。カルカッタ着後、哲学館出身者大宮孝潤氏をその寓居にたずね、当夕ここに一泊す。氏は久しくインドにありて、多年サンスクリットを研習し、黽勉怠らず、昨今大いにその歩を進めたりという。他日、一大プロフェッサーとなりて帰朝あるは、今より期して待つべきなり。また同氏の宅において、河口慧海氏に会するを得たるは、奇縁といわざるべからず。氏もまた哲学館出身にして、さきに千辛万苦をなめ、九死に一生を賭して、ヒマラヤ山中、無人の絶境に入り、ついに入蔵の目的を達するを得。再び白馬にむちうちて雪嶺を越え、ここに身心を全うしてカルカッタに安着せられたるは、仏教のため、および国家のために、大いに喜ぶべく、かつ祝すべきなり。ことに他邦人のいまだ断行し得ざる空前の冒険旅行者を、哲学館出身者中より出だし、欧米人をして、その後に瞠若たらしめたるは、余が一層愉快とするところなり。すなわち、拙作をもってこれを祝す。[#ここから2字下げ]喜麻拉亜の雪はいかほど深くとも埋めかねたる君が赤心[#ここで字下げ終わり] 河口氏がインド国境ダージリンに達し、康有為氏に会し、入蔵の願望を遂げたることを告げたれば、康氏は即座に七律を賦して贈れりという。その詩、左のごとし。[#ここから2字下げ]

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