けがれた風が吹き

古城依旧恒河辺、聞説如来転法輪、遺跡荒涼何足怪、穢風狂雨幾千年。(古城は昔のままに恒河《ガンジス》のほとりにあり、聞くところでは如来が仏法を説いたところである。遺跡は荒れはてて、それもまた驚くにはあたらない。けがれた風が吹き、くるった雨がふること幾千年であるのだから。)[#ここで字下げ終わり][#7字下げ]一四、ボンベイに着し、新年を迎える[#「一四、ボンベイに着し、新年を迎える」は中見出し] 当地滞在中、マッチセン氏の厚意をになうこと、またすくなからず。翌朝早天ベナレスを発す。やや寒冷を覚ゆ。土人みな衣をかぶり、路傍にわだかまりおるを見る。一句をよむ。[#ここから2字下げ]ネチーブか達磨を気取る寒かな[#ここで字下げ終わり] 汽車の上等室に「Europeans only」の掛け札あるを見る。毎度ながら、白人種の無法なる制裁には驚かざるを得ず。これを見てインド人の憤慨せざるも、たとい亡国の民とはいいながら、これまたアキレハツルよりほかなし。これよりアラハバードを経て、その翌日すなわち二十八日午後四時、ボンベイに着す。 カルカッタよりボンベイまで汽車の里程、一千四百マイルの遠距離なるに、その間一、二の小山脈なきにあらざるも、そのほかは平々坦々、山なく丘なく、沃野千里、無限の平原なり。ゆえに、「山なくて月日も困るやとり場に」とうそぶきたり。かかる平原は、日本人のごとき武蔵野くらいをもって平原と思えるものの、到底夢想し得ざるところなり。 河口氏とは二十七日朝、モゴルシュライ停車場にて袂を分かち、氏はデリーに向かいて乗車す。今回ヒマラヤ見物の好都合に運びたるは、全く氏の好意に出ず。旅行中、氏の作もすこぶる多く、互いに唱和したるものすくなからず。されどいちいち記憶せざれば、ここに略す。 ボンベイ着後、ただちに三井物産会社支店長間島氏の宅に入り、数日間これに寓し、もって新年を迎えたり。二十九日早朝、パーシー(火教徒)墓所を一覧す。この宗派は死体を鳥に食せしむる慣習なり。三十日休息し、三十一日、ビクトリア公園および博物館を一見す。当夜、この地にある高等商業学校の同窓会に出席す。 明治三十六年一月一日、間島氏の宅にて元旦の雑煮を食す。よって狂歌を詠む。[#ここから2字下げ]

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